「当事者の方でフラッシュバックなどの心配がある人はご注意ください」というアナウンスで、自分が当事者だと気付いた
今月20日の夕食前くらいの時間、台所に立っている母とペラペラ話しながらテレビを見ていた。
最初はドラえもんを見ていたのだがそれも終わってしまい、母がチャンネルを変え、そのタイミングで「報道特集」が始まった。
お目当てのドラえもんが終了した私はスマホをいじりながらその報道特集が始まるのを見ていた。
正確に言えば”テレビは見ず耳だけはテレビにフォーカスしていた”だ。
今回の報道特集は「家庭内の性虐待 父からの性虐待と向き合う」という内容だった。
元々ドキュメンタリーは好きな方なので、最初は見ようとしていた。
アナウンサーのちょっとした語りのあと、VTRの始まる前にこんな言葉が聞こえてきた。
「当事者の方で、フラッシュバックなどの心配がある方はご注意ください」
一言一句合っているかはわからないけど、ニュアンスはこんな感じだった。
この言葉を聞いた瞬間、私はチャンネルを変えた。
10年以上前、小学生の頃、私は性被害に遭ったことがある。
一緒に住んでいた祖父母・父母・弟ではない、親戚からだった。
10年以上も経っているのにいまだに傷は癒えていない気がする反面、どこか他人事のように感じている自分もいる。
母に打ち明けたのはおととし。
あることがきっかけで泣きながら、嗚咽しながら話した。
誰かの前でこんなに泣いたのは初めてなんじゃないかってくらい泣いた。
若干過呼吸。
フラッシュバックと、言ってしまったという気持ちと、今後どうしようという感情と、とにかくいっぱいいっぱいだった。
「どうしてずっと言わなかったの」
たぶん母だってこんなこと聞きたくなかっただろうけど、そりゃあ聞きたくもなる。
でも「この子はこんなことをした汚いやつだ」って思われたくなかったし、母を傷つけてしまうんじゃないかと申し訳なかったから。
母は「そんなこと思うわけない」とだけ言って、”当事者”である親戚の家に向かっていった。
傷害事件だって窃盗事件だって確かに被害者を「かわいそうだ」とは思うけど、「汚い人」とは思わない。
なんでだろう。
もし自分の周りの友人や家族が同じような性被害にあったら、絶対にそんなふうには言わないし、そもそもそんなこと一秒たりとも頭に出てこない。
「大変だったね、気付かなくてごめんね、つらかったね」自分が伝えられる限りの言葉を伝えて、つらい気持ちを伝えてくれた相手をとにかく受け止める。
でもいざ”当事者”になるとそんな言葉を自分自身に優しく投げかけることはできなかった。
これは余談だけど、この間性被害に遭った女性がいた。
その人は警察でもない、親でもない、”SNSの人”にどうしたらいいか助けを求めていた。
その時に私と同じように聞かれていた。
「どうして親に言わないの?」
「親にそういうことしてたって知られたくないから」
私と同じように答えていた。
やっぱり性被害を受けた人はその気持ちが先行するんだろう。
大事にしてくれた親だからこそ申し訳なくなるの。
自分は何も悪くないはずなのに。
報道特集の話に戻ろう。
私がチャンネルを変えたのは、自分のフラッシュバック云々もだけど、ほかの一つの理由として母に見せたくなかったからだ。
そもそも”当事者”ってなんだろう。
Wikipediaによると、
「起きている問題を現場で直に体験し、影響を受けている個人のことをいう。」
だそう。
被害に遭っているところに母はいなかった。
でも私が泣き叫んで打ち明けた時点で問題に直で対面しているから、つまり母も当事者なのかもしれない。
だから当事者の自分、そして第二の当事者かもしれない母のためにチャンネルを変えた。
そして普段性犯罪のニュースを見てフラッシュバックとかはなかったのだけれど、今回の一件でタイトルの通り「自分は当事者なんだ」という闇みたいな気付きに飲み込まれた気がした。
もちろんフラッシュバックを予防するために、こういったアナウンスはとても重要な手段だと思う。
でもやっぱり、自分は性被害に遭った当事者としてずっと生きていくんだなって現実を突きつけられた気がした。
当事者でも立ち直って、被害者をサポートする活動をしている人もいる
当事者以外にふさわしい言い方はないかなと考える反面、正解が見つからない。
もちろん正解なんてないんだろうけど。
ところであの報道特集はやっぱり見た方がよかったのかな。
どこか見れる場所があったら誰か”当事者”じゃない人と見たい。